夜更けのクレスウェル家。薄暗い部屋の片隅で、エリーナ・クレスウェルは一人静かに座っていた。窓の外には月明かりが冷たく広がり、家の中の静寂がその決意をさらに強めているようだった。
彼女の手には、小さな鞄が握られていた。数日前から準備をしていたわずかな荷物。大事にしまっていたリディアの手紙と、自分が剣士として強くなろうと決意した頃の道具が入っている。その全てが、エリーナのこれからの旅を支える唯一の手がかりだった。
「エリーナ……」背後から低く静かな声が聞こえ、振り向くと、そこには兄のレオンが立っていた。普段は無口で強い兄の表情が、今夜はどこか優しく、同時に寂しげに見えた。
「お兄様……」エリーナは鞄を握りしめ、微笑んだ。「大丈夫よ、私が決めたことだから。お姉様の意志を継ぎたい。あの人が守ろうとしてくれたものを、私も守りたいの」
レオンはしばらく黙っていたが、やがてそっと彼女の肩に手を置いた。「分かっている。だが、お前がこれから向かう道が平坦でないことも、誰よりもよく知っているつもりだ。けれど……お前は誰よりも強い、エリーナ」
その言葉に、エリーナの心が震えた。家族と離れる決意は固めていたが、兄のその一言が、彼女の心の奥深くに響いた。
「ありがとう、お兄様。でも、私はもう子供じゃないわ」彼女は強がって言ったが、内心ではまだ兄や家族に守られたい気持ちも残っていた。それでも、この道を選ぶ決意をしていることを再確認し、決心をさらに固めた。
背後から軽い足音が聞こえ、二人が振り返ると、母アンナが小さな明かりを灯して立っていた。彼女の顔には、言葉にはできない思いが浮かんでいた。
「エリーナ……どうしても行くのね」アンナは微笑んだが、その微笑みの奥には、母としての心配と娘への誇りが複雑に入り交じっていた。
「うん、お母様……」エリーナはかすかな声で答えた。「私はお姉様のためにも、この道を進むべきだと思うの。もし、お姉様が私に何かを望んでいたなら、それは家族を守るためだったはず。だから、私も自分の力でできることをやりたい」
アンナはそっと彼女の手を取り、握りしめた。「それなら、何も言わないわ。ただ、あなたの行く道が平和であるように祈るだけよ。けれど、辛いことがあれば、いつでも戻ってきなさい。あなたはいつでも私たちの娘だから」
母の手の温もりが、エリーナの心を満たしていった。彼女は深く頷き、涙がこぼれないように上を向いた。「ありがとう、お母様。必ず、無事に戻ってくるわ。そして、リディアお姉様が残したものを守ってみせる」
その後、エリーナは家を出る準備を整え、暗闇の中に立った。背後で見送ってくれる家族の気配を感じながら、彼女は一歩、また一歩と歩みを進めた。ふと立ち止まり、後ろを振り返ると、家族がまだ小さく見えていた。
「さようなら、お兄様、お父様、お母様……」小さな声で呟いたその言葉は、夜風に消えた。しかし、彼女の心には家族への愛と、リディアへの誓いが強く刻まれていた。