エリーナ・クレスウェルは、居間の片隅で手にしていた古い家族の紋章を見つめていた。リディアが失踪してからというもの、彼女の胸には常に小さな穴が開いているような虚しさがあった。姉のいない生活は、クレスウェル家全体を暗くしていた。屋敷の中の誰もが影を落とし、家族や使用人たちの表情からも希望の色が抜け落ちていた。
「エリーナ、手伝ってもらえるか?」父ガイウスの声にエリーナは我に返った。
「ええ、お父様。何をすればいいのですか?」
ガイウスは少し黙ってエリーナを見つめた。目尻の皺が増えたように見える彼の表情には、彼女には分からない苦悩が刻まれていた。「今、クレスウェル家は厳しい状況にある。リディアがいない今、我が家の未来をどう切り開くべきか、道を見失っているのだ」
エリーナは、父が自分の前で弱さを見せるのを初めて見る気がした。姉のリディアがいたころは、彼がどれだけ心配や不安を抱えていようと、家族の前では堂々としていた。だが今、エリーナにすら重責の一端が感じられるような状況だった。
「エリーナ、我が家にはまだ多くの重荷がある。それは一族の名誉を守り抜くことだけではなく、使用人たちや協力者、そして未来のために私たちがなすべきことでもある」と彼は静かに語り始めた。
エリーナは自分の中で迷いが湧き上がるのを感じた。彼女は剣術に関しては多少の訓練を受けてきたが、それはあくまで自分の興味の範疇に過ぎなかった。リディアのように強く、真剣な使命をもってクレスウェル家を守る覚悟が本当に自分にあるのだろうか。
「お父様……私は、姉のように強くないです。剣を持って家族を守るだなんて、まだ遠い目標に感じます……」
ガイウスはそっとエリーナの肩に手を置き、目を合わせた。「エリーナ、お前にはお前なりの道がある。誰もリディアと同じようであることを求めてはいない。お前ができる形で、クレスウェル家を支えてくれればそれでいいのだ」
エリーナはその言葉に少しだけ安堵した。だが、心の奥底には「役に立たなくてはならない」という使命感が広がっていた。彼女はいつか、姉のように家族を守る存在になることを目指そうと密かに心に決めた。
その日の夕方、エリーナは庭の一角で剣を手に取り、訓練場で黙々と木の剣を振り続けていた。