伯父からの提案
リディア・クレスウェルの帰還があり、ヴァン・エルドリッチ家に少しずつ平穏が戻りつつあった頃、アレクサンドルは父ヴィクターの呼びかけで、久しぶりに実家へと足を運んでいた。リディアの消息が明らかになり、婚礼を控えたイザベラとセバスティアンの準備も進んでいる中で、アレクサンドルは一息つこうとしていた。しかし、この日、父ヴィクターが彼を呼び寄せたのは、ただの家族の集いではなかった。
居間に入ると、すでに伯父オスカーがヴィクターと共に座っていた。オスカーはエルドリッチ商会の当主で、数十年にわたりその事業を成功させてきた商人だ。しかし、アレクサンドルにはその背中に見えるものは以前と違っていた。歳を重ねた姿が、彼の頭に深い皺を刻んでいるのを感じた。
「アレック、座りなさい」ヴィクターが穏やかに促す。
アレクサンドルは少し緊張しながら、二人の向かいの席に腰を下ろした。
「伯父上、どうもお久しぶりです」と、アレクサンドルが口を開くと、オスカーが微笑んで頷いた。
「久しぶりだな、アレック。成長したな、冒険者として大きな名を成していると聞いている」オスカーの声には、少しの誇りと、若干の疲労が混じっていた。「今日は、少し君に話したいことがあるんだ」
アレクサンドルは一瞬、何の話か予感できなかった。だが、オスカーの商人としての経験と年齢を考えれば、ただの世間話ではないだろうと察する。
「話を聞かせてください」アレクサンドルが応じた。
「エルドリッチ商会のことだ」オスカーは静かに語り始めた。「私はもう60歳が近い。商会を築き、守り、成長させてきたが、そろそろ次の世代に引き継ぎたいと考えている。つまり、アレック、お前に商会を継いでほしいんだ」
アレクサンドルは少し驚きを隠せなかった。黎明の翼での冒険者としての日々は忙しく、彼の頭の中には商会の経営や商売のことなど考える余裕はなかった。しかも、まさか自分がそんな役割を担うことになるとは思ってもみなかった。
「でも、伯父上……私は商売のことは全くの素人ですし、今は黎明の翼としての活動が優先です。果たして、私が商会を継ぐのは現実的なのでしょうか?」アレクサンドルは正直に疑問を投げかけた。
オスカーは微笑を浮かべた。「もちろん、分かっているよ。お前が冒険者としての道を歩んでいることも、その道を極めたいという気持ちも尊重している。だが、商会は我が家の伝統でもあり、私は親族の中から後継者を見つけたいんだ。お前がもし引き継いでくれるのなら、今すぐに全てを投げ出す必要はない。私と一緒に数年かけて仕事を覚えればいい。ゆっくりで構わない」
その言葉には、商会の未来に対するオスカーの誠実な思いが込められていた。アレクサンドルは、彼がただ事業を引き継がせたいのではなく、ヴァン・エルドリッチ家の名と誇りを守りたいのだと感じた。
「オスカーの言う通りだ、アレクサンドル」ヴィクターが口を開く。「今すぐに決める必要はない。お前には、今やるべきことがあるのも知っている。だが、2~3年の間に結婚や将来のことを考える時が来る。その時までにどうするか、ゆっくり考えればいい」
アレクサンドルは深く考え込んだ。黎明の翼としての活動を捨てるつもりは全くないが、伯父の提案を無視することもできない。家族のため、そしてヴァン・エルドリッチ家のために何かを背負う責任があるのだろうか。父と伯父の期待は重く感じたが、断るには忍びない。
「わかりました。すぐに結論は出せませんが、少し時間をもらえますか?」アレクサンドルは慎重に言葉を選んだ。
オスカーは安心したように微笑んだ。「もちろんだ、アレック。ゆっくり考えてくれ。私もまだ元気だし、君が決断するまで共に仕事をし、学ぶ機会を提供するつもりだ」
その後、アレクサンドルはヴィクターやオスカーとしばらく商会の話を続けたが、頭の中は依然として冒険者としての使命と、家族の期待との間で揺れていた。
そして、その日は静かに終わりを迎えたが、アレクサンドルは自分の人生が新たな岐路に差し掛かっていることを強く感じた。