友情と家族の境界線
イザベラ・ヴァン・エルドリッチとセバスティアン・クレマンの婚約が決まった後、アレクサンドル・ヴァン・エルドリッチは複雑な心境でその事実を受け止めていた。ヴァン・エルドリッチ家は中程度の地位にあり、決して低くもないが、クレマン家のような豪商ほどの名声や影響力を持っているわけではない。アレクサンドルは妹がクレマン家のような名家に嫁ぐことに一抹の不安を感じていた。
ある日、アレクサンドルはセバスティアンと会うためにクレマン家の邸宅を訪れた。庭でのんびりとした雰囲気の中、二人は話をしていた。セバスティアンはいつも通り落ち着いた態度で、アレクサンドルの表情を観察しながら会話を進めていた。
「アレクサンドル、妹さんとの婚約について、何か思うところがあるなら遠慮なく言ってくれよ」セバスティアンは静かな声で問いかけた。
アレクサンドルは一瞬黙り込み、セバスティアンの言葉を慎重に選んで答えた。「セバスティアン、君がイザベラを愛していることは分かっている。だが、正直に言うと、クレマン家のような大きな家に嫁ぐことが彼女にとって幸せなのか、まだ確信が持てないんだ」
セバスティアンはアレクサンドルの率直な言葉に驚きはしなかったが、彼の表情に一瞬の緊張が走った。「君の心配は分かる。クレマン家は名が知れているから、色々な期待や責任がついてくる。だが、僕はイザベラのことを大切に思っている。彼女をプレッシャーの中で苦しませるつもりはないよ」
アレクサンドルはその言葉を聞いて少しだけ安堵したが、それでも妹を守りたいという強い気持ちが彼の心に残っていた。「僕はただ、イザベラが家柄や名声に飲み込まれてしまわないか心配なんだ。彼女は繊細なところがあるし、クレマン家の華やかな生活に慣れていない」
セバスティアンは少し笑い、彼の肩に手を置いた。「アレクサンドル、僕が彼女を守る。約束するよ。君も知っているだろう、僕は商人として生きてきたが、家族を最も大事にしているんだ。イザベラはもう僕にとって家族なんだ」
その言葉にアレクサンドルは深く頷いた。セバスティアンは信頼できる男だということを知っていたし、彼の言葉には真摯さが感じられた。しかし、アレクサンドルはそれでも何かを感じ取っていた。セバスティアンの内側に、彼が表に出さない重圧があることを。
しばらくして、二人は庭を歩きながらさらに話を続けた。アレクサンドルはふと、セバスティアンが商売で成功するためにどれだけの犠牲を払ってきたかを思い出し、尋ねた。
「セバスティアン、君はいつも冷静で落ち着いているけど、商売でのプレッシャーはどうやって乗り越えているんだ?僕には想像もつかないほどの責任が君にはあるだろう」
セバスティアンは少しの間沈黙し、遠くを見つめながら静かに答えた。「確かに、プレッシャーは大きいよ。クレマン家を支えるという責任は時に重くのしかかる。だけど、僕にとって家族はすべてなんだ。イザベラが僕の支えになってくれることが分かっているからこそ、どんな困難も乗り越えられると思っている」
アレクサンドルはその言葉に考え込むように頷いた。彼自身も妹を大切に思い、彼女を守りたいという思いがある。しかし、セバスティアンのように冷静に責任を全うし、家族を守るためにすべてを賭ける覚悟は、まだ完全には理解できなかった。
「君の言葉を信じているよ、セバスティアン。イザベラが君のそばにいることで、君がさらに強くなるなら、僕も安心できるかもしれない」
セバスティアンは微笑み、アレクサンドルの肩を軽く叩いた。「ありがとう、アレクサンドル。君も家族の一員だ。イザベラだけでなく、君もこれから僕たちと一緒に支えていこう」
その日の帰り道、アレクサンドルはセバスティアンとの会話を反芻していた。妹が新しい家族の一員として迎えられることに不安はあったが、セバスティアンの誠実さと決意に少しずつ信頼を寄せるようになっていた。彼は、これからもイザベラを見守り続ける決意を新たにしつつ、セバスティアンという男がどれだけ強い意志を持って家族を守るかを少しずつ理解し始めていた。